JOURNALお伝えしたいブランドのはなし
本人よりもあきらめない、スポーツトレーナー。
宮城県仙台市にある、10年ほどつづくスポーツジム・接骨院を運営する会社、合同会社フィジック。同社からご相談をいただき、経営理念・ストアネーム・ストアロゴ・WEBサイトを一新するブランディングプロジェクトをご一緒させていただいた。
キッカケは、WEBページを見つけていただき、お問合せをいただいたことだった。
代表を務める佐々木さんは自身も、バレーボールをされていた方。現在はプロサッカー選手や様々なアスリートの方が、県外からもトレーニングを見てほしいと駆けつけるほどのスポーツトレーナー。もちろん、プロの方だけでなく、パーソナルトレーナーとして佐々木さんにお願いしたいというお客さまが後をたたないという。
普段カラダを動かしてお仕事をする方と決めていく、これから先の会社の未来。机の上でウンウンうなるだけでは、いいものはできないよなあ。そう考え、ご提案したのは1泊2日のキャンプ合宿。その中で理念の言語化やストアネームを決めきろうとお話したところ、快諾。偶然にも、佐々木さんご自身がキャンプをこよなく愛する方で、ひとりで考えたいときは必ずキャンプに出かけるほどの方だったのだ。
舞台は宮城県の北東部、南三陸町の神割崎キャンプ場。海が見えるバンガローで波の音を聞きながら、佐々木さんご自身についての過去・現在・未来を紐解く旅がはじまった。
佐々木さんご自身、仙台市内の海にちかい場所で生まれ育ったこともあり、海には幼い頃から癒やされてきた。悩んだ時、迷った時。いつも海がその頭と心を包み込みんでくれた。そんな欠かせない大事な存在が、牙を剥くことになった。
3.11。
その日、佐々木さんは仙台駅近くのジムでトレーナーの仕事をしていた。突然の揺れで気が動転しながらも、やはり脳裏によぎるのは実家のこと。津波は、沿岸だけでなく仙台市を広く飲み込んだ。海が見える場所にある家ならひとたまりもない。けれど、佐々木さんはその目で見るまでは信じられなかった。そして、車を飛ばして実家に向かった。
家までもう少しのところまで来たあたりで、警察がバリケードを張っていた。「この先に家があるんだ。通してくれ」。声を荒げる佐々木さんに警察は言った。「この先に行っても、もうなにも残っていない。車はここから先へは行けない」。引き返せるはずがなかった。「だったら歩いていけば良いんですよね?」。警察を押しのけて、佐々木さんは先へ走った。この上り坂の上まで行けば、家が見える。なんとかたどり着き、坂のてっぺんまで来たところで、佐々木さんは膝から崩れた。見渡す限り、なにもないまっさらな世界。もちろん、家どころではなかった。
震災後の仙台市。爪痕は深く、復興にも当然時間はかかった。その時に、スポーツジムなんて有事の際に何の役にもたてない。そんな虚無感に襲われ、廃業も考えた。極限まで追い込まれている時に、佐々木さんを救ったのはお客さまだという。「こんなときなんだけど、こんな時だからこそ体を動かしたくって」。そういってポツポツと足を運んでくれる人がいた。体を動かしたお客さまは、明るい顔をして店を後にしていった。
その時に、スポーツだけでは生きてはいけない。けれど、スポーツは命を輝かせるために、人生にとって必要なものだと確信した。それがトレーナーを続ける支えになった。そして、命を守ることも忘れてはいけない。佐々木さんのジムでは、スポーツセーフティ(ケガや救急時の応急処置)を教えるセミナーやスクールも開いているが、このときの経験があったから始まった取り組みだった。
ちなみに、佐々木さんはそれでも海を大切に思っている。幼い頃から自分を何度も受け入れてくれた存在。自然の雄大さ。いまでも考え事があるときは、キャンプに出かけ、海に語りかけながら答えを探すことが多いという。
原体験は、すべてのブランドにおいてかなり重要な要素となる。なぜならば、動機そのものになるからだ。そして、過去は変えられない。だからこそ、紐解いていく中で自分自身の判断軸や選択肢が明らかになる。なぜこの仕事をしているのか。その起点があるとないとでは説得力がまるで変わってくるのだ。だから私たちは、コーポレートアイデンティティ(CI)の前に、ヒューマンアイデンティティ(原体験)を大切にしている。
ブランディングを進めるにあたり、まず考えたのは自社の本質的価値。つまりトレーナーとは何を価値として提供する仕事なのかをクリアにすることだった。トレーナーと名のつく職業の人は世の中に溢れている。けれど、同じ価値を提供しているわけではない。ならばその価値をまずは明確化することが、第一歩となる。そこでも、佐々木さんのエピソードを聞くことができた。
ある高校のバスケ部の話。部活に帯同するスポーツトレーナーも行う佐々木さんが見ているチーム。そこで高校最後の大会半年前に大怪我をおってしまった選手がいた。医者からは間に合わないと言われている。そこで佐々木さんに相談が来た。「どうしても最後の試合に出たい。じゃないと高校生活を終えられない」。気持ちは痛いほどわかる佐々木さんは答えた。
「医者は無理だと言っている。自分は医者じゃないから、直すことはできない。でも、一緒にあきらめないことはできる。最後まであがく覚悟はあるか。もしあるのならどこまでも付き合う。」
それから半年間。ケガについて、リハビリについて、あらゆる可能性、リスク、考えつくものはすべて調べ、勉強し、ともに復帰を目指した。あきらめても誰も文句は言わないほどの辛いリハビリの日々だった。けれど、選手も佐々木さんも後ろは向かなかった。
そして、最後の大会、最後の試合。選手は途中出場ながらも、コートに立つことができた。もちろん全快ではない。けれど、あきらめずに、たどりつくことができた。この経験は選手のこれからの人生において、どれほど価値のあるかけがえのない経験になるだろうか。単なるトレーナーを超えた、人生の支援者。そんな仕事を、カッコつけなくてもいい、ストレートに、心に伝わるような言葉にできないか。そうして、会社のミッションが生まれた。
MISSION
あきらめない。なんとかする。
できる歓びと、充実した日々のために。
そのまま議論は進み、ビジョン、バリューも言語化。ブランドの骨子がかたまり、最後はストアネームの議論。キャンプ参加者全員でアイディアを出し合い、最終的に決定したのが「ANCHOR」というネーミング。リレーのアンカーのように、最後にかならず責任をとって勝ちに行く。船のアンカー(いかり)のように揺るぎなくどっしりと構え、ぶれない存在となる。そして、大切に想う海を象徴するシンボルでもある。そんな思いを込めて決めた名前だった。
この仕事をさせていただく中で、鳥肌が立つような経験をさせていただくことが何度かある。それは、対峙する人の揺るぎない信念や意志に触れ、惚れるときだ。この感覚は、必ずお客さまにも、そして社会にも届くはず。あとは、その発信を担うのは僕たちの仕事だ。
しかし、いつも必ず思うのは、お仕事をいただいているこちらが元気をいただいたり、視点がガラリと変わるきっかけを頂いている。だからこそ、しっかりと返していきたい。というよりも絶対返さなきゃ、と心を新たにする。
僕たちも、ブランドをつくる仕事と一言でまとめてしまえば、多くのブランディング会社と同じように見えてしまうのだろう。けれどMBAを取得したわけでもないし、世界的に有名なブランディング会社を経たわけでもない自分たちが提供できるブランドとはなんなのかを考える。
今のところの答えはこうだ。
正解を求めるのではなく、自らがが決めた道を正解として覚悟する。そして自分たちらしく生きることで得られる、幸せをカタチにする。そんなお手伝いが、企業ブランディングなのではないかと思っている。