JOURNALお伝えしたいブランドのはなし
しなやかに変化しながら、変わらないものを追求する。(前編)
元Jリーグ選手で初めて上場企業の社長となったことで知られる嵜本晋輔さん。「リユースはサステナブル」という考えをいち早く取り入れ、事業の成長と同時にリユース業界の地位向上も実現してきました。GIFT代表の池戸とは創業期から親交があるということで、当時にさかのぼり、快進撃の裏側をじっくり語っていただけることに。そこには常識にとらわれない、オンリーワンの成長の秘訣がありました。
ミッションやパーパスは、変えてもいい。
池戸:初めて会ったのは2015年でしたよね。当時勤めていた前職の会社に問い合わせをいただいて。渋谷のオフィスにお伺いしたことを覚えています。
嵜本さま:東京オフィスのオープンから数年後、まだ渋谷の道玄坂に小さなワンフロアのオフィスを構えていたころですね。(現在は品川シーズンテラスへ本社とともに移転)。あれからだいぶうちの歴史を見てもらってますね。
池戸:SOU(バリュエンスグループの前身)のMVV策定・言語化をご一緒させていただいたことをきっかけに、プライベートでもホノルルマラソンに出場したり、結婚式をプロデュースさせてもらったり、仲良くさせてもらって(笑)問い合わせをいただいた当時はスタートアップだったわけですが、すでにブランディングを考えていたんですよね。
嵜本さま:やっと考え始めたっていう感じですかね。理念のようなものはあったんですが。
池戸:しっくりいってなかった?
嵜本さま:考え方や見える景色が日々アップグレードされていく中で、過去に考えていたことと現在、そして未来の間に少しずつギャップが生まれていて。そこに違和感があったので理念やビジョンのリニューアルを考えていたんです。
池戸:創業間もないタイミングで理念を考えるって、当時あまりなかったですよね。
嵜本さま:今のスタートアップは理念やMVVが創業時にでき上がってスタートするじゃないですか。でも当時の僕らは何もなかった(笑)。
池戸:ブランディングは会社の成長のために必要だと?
嵜本さま:当時はそういう考えもあまりなかったですね。正直、世の中をあまりわかっていなかったというか。ものすごく必要かはわからなかったけど、ちょっとずつ経営者として会社の規模を拡大していく中で、これは何やら必要らしいぞ……と、そんな感じです。今またパーパスをつくり直しているんですよ。
池戸:そうなんですか!パーパスやミッションって、基本的に変えない企業が多いですが。
嵜本さま:そうですね。でも僕の経験では2〜3年に一回は変えたくなるし、実際に変えています(笑)
池戸:変えたい欲求強いですよね(笑)
嵜本さま:つくったものを変えなくても良い状態は、逆に成長できていない状態かもしれないという危機感があります。自分の考えって、軸は同じでも確実にレベルアップし、変化していく。だからつくったものを経由すると、考えの鮮度は失われていくんです。よく企業は変えないものを持つべき、例えばパーパスやミッションは変えずにいた方がいいと言われていますが、僕は変えてもいいんじゃないかって思うんですよ。
池戸:変えるべきでないという世の中の常識みたいなものも、結果成功してしまえばどっちが正しいか、みたいなところもありますもんね。
嵜本さま:一生ベンチャーみたいな感覚の方が良いじゃないですか。何にも固執しないでいたいんです。決めつけとか固執は可能性を奪うから、自分自身をフラットに客観視して選択できる状態をつくっていかないと。だから僕は色んな人から影響を受けすぎないようにと意識しています。
池戸:乗っかるわけじゃないですが、僕もそう考えていて(笑)SNSとか見すぎると影響を受けちゃうんで、今は距離を置いています。
嵜本さま:影響ってポジティブな言葉として扱われていますけど、影響を受けちゃうとその人以上にはなれない。例えば池戸さんのいい部分も、いいなと思うにとどめておく。そこで鵜呑みにしたり影響を受けたりすると、可能性が狭まっていくというか、視野が狭くなる可能性もありますよね。
今は常に“ベスト”ではなく“ベター”。
池戸:ミッションやパーパスがどんどん変わっていくと、社員さんはどんな反応ですか?
嵜本さま:カルチャーでキャッチしている感じですね。社内ではよく変化する力や機動力が高い会社・人が勝っていると話していて。世の中がめまぐるしく変わっているのに、人が変わらないのはおかしいよねって。10年くらいかけてその文化をつくってきたので、あまり違和感は感じていないと思います。
池戸:嵜本さんは基準を自分じゃなくて会社に置いて、しがらみがあってもバッサリ決断できるのがすごい。
嵜本さま:5年、10年先まで成長する組織をつくらないといけないと思ったときに、目先のことだけ考えていては生き残れない。今がベストではなくてベター。だから常日頃、ベターを超えられるベストを探し続けている感覚です。意識しているというより、当たり前になっちゃっている。それはこれまで成長できた一つの要因かもしれないです。
池戸:バリュエンスは設立から7年で上場していますが、最初から構想はあったんですか。
嵜本さま:いえ、上場ってあるらしいよ、くらいのレベルでした。
池戸:そこからなぜ上場を?
嵜本さま:今となってはリユース業界って注目されていますが、設立当時は質屋のイメージが残っていて社会的な地位が低かったんです。だから業界の社会的地位向上の一つの手段になると思ったんです。あとはやっぱり社員に支払う報酬を上げたかったというのが理由ですね。
池戸:上場の前後で社長としての役割は変わりましたか。
嵜本さま:全然違いますね。単なる売上利益を求めていく会社ではなくて、ステークホルダーに対してきちんと説明する責任がありますし、言ったことの実現もシビアに求められる。
池戸:上場はメリットもあればデメリットもありますよね。
嵜本さま:弊害が生まれていると思うところもあります。予算があるとチャレンジングなことをやりづらくなりますね。現場のメンバーもバリュエンスの来期予算はいくらでやるぞとなったときに、部署ごとに分解された予算を渡されて、売上や利益達成のためにKPIもつくられて。がんじがらめの中で働かざるを得ない。
池戸:KPIにしばられてしまう。
嵜本さま:KPIは数字を追うには効果的ですけど、クリエイティビティが全く発揮されない。今は会社のレベル感から必要だと考え、奮い立たせてやっていますけど、KPIとの付き合い方は考えていかないといけないと思っています。理想はKPIからの解放。全社員が自由な状況で目の前のお客さまと向き合うことができたら、何が生まれるか楽しみですね。
幸福を追求する組織へ。
池戸:逆にKPIを活用してチャレンジし続けている会社もありますよね。
嵜本さま:ありますね。ただ僕は、社会課題解決型の企業に舵をきると決めているんです。今までは恥ずかしながら売上利益を追求する会社だったんですよ。でもこれからは、幸福を追求する組織に変えていく。そのためにパーパスを見直しているんですが、言葉だけでなくビジネスにも紐づいているようにしていかないと。
池戸:どのくらいのスパンで考えているんですか。
嵜本さま:タイミングは非常に難しいなと思いますね。一気に振りすぎると利益を失ってしまうこともありますから。でも短期的には損失が出ても、中長期の目線で見ると10年後圧倒的に評価される。メンバーと話しながら少しずつそっちに向けるようにしているところです。
池戸:今定めようとしているパーパスは、どういうことを掲げていく想定なんですか。
嵜本さま:社会課題である気候変動問題について、自分たちの事業を通じて一人でも多くの人に気づきを与え、循環型社会をつくっていく、というのが含まれる想定です。それも世界規模で。
池戸:壮大なテーマだ。
嵜本さま:僕自身がプライベートでそういうことを全て意識しているかというと、そうでもない。ただ、そういう考え方の人をいかに巻き込んでいくかはできるんじゃないかと。一人でできることは限られているし、自分の影響なんてちっぽけなものです。でも幸いバリュエンスはいろんなお客さまに会えるし、共感してくれる社員もいる。一人でも多くの人にバリュエンスの事業活動を通じて考え方を知ってもらい、一緒に社会課題を解決していく。それが結果的に関わる人たちの心の豊かさになっていくというイメージです。
池戸:それが組織づくりの根っこになるわけですね。
嵜本さま:数年がかりだと思いますけど、いかに末端の社員にまで浸透させていくかですね。それはやり続けるしかないと思っています。カルチャーってめちゃくちゃ重要なので。接客力で勝負していくと言い続けた10年間を経て、そのカルチャーはできあがり、評価もいただけていると感じています。次にアップデートするのは、「心の豊かさを追求していくことが自分達の存在理由である」というカルチャー。それを浸透させられると、さらに強い組織になると思っています。
後編へつづく
嵜本晋輔 sakimoto shinsuke
2001年にJリーグのガンバ大阪に入団するが、2003 年に戦力外通告を受け退団。22歳でサッカー界から引退。2011年12月にブランド品のリユースなど、サステナブルな事業を行う株式会社SOU(現 バリュエンスホールディングス株式会社)を設立。2018年東証マザーズ市場に上場。現在はガンバ大阪や、DリーグのKOSÉ 8ROCKS(コーセーエイトロックス)のオフィシャルパートナーとなるほか、2021年9月には「キャプテン翼」の著者である高橋陽一氏がオーナーを務める関東1部リーグのサッカークラブである南葛SCの株式を33.5%取得。株式会社南葛SCの取締役も務め、東京23区で初めてのJリーグチームをつくるべく、 邁進している。